Help

上野城 鹿児島市 昭和44年

  • 2546

Photos: 上野城 鹿児島市 昭和44年

Photos: 新田神社 川内 鹿児島 昭和29年 Photos: 国立競技場 昭和39年頃

自宅の古いアルバムより、完成間近の上野城(鹿児島市田上)。昭和44年。

以下、『鹿児島市西部の歴史』四元幸夫著から引用 P171 白駒山護生寺(はっくざんごしょうじ)の跡 の項
-----
 JR鹿児島本線と紫原団地へ行く道路の交差点付近を 寺の下 という。お寺があった所の下であるので、そのように呼ばれてきた。お寺というのは、白駒山護生寺という寺で、今の上野城の建っている所で、朱塗りの馬頭観音祠もあった。この寺は、明治二年の廃仏毀釈で壊された。
 鹿児島県地誌備考の「鹿児島寺社廻」は、明和九年(1772)に書かれたものであるが、それには、「高寺とて田上村に有り。護生寺(悟生)とかや云えり。曇りとて清発頓知の出家有と聞く。馬頭観音堂有り。川辺郡日新寺の末寺也と云う」と書かれている。
 「三国名勝図会」には、次のようなことが書いてある。白駒山護生寺は、上町にあった曹洞宗福昌寺(現玉龍高校の所)の末寺で、本尊は釈迦仏、開山は梅翁和尚である。天和三年(1683)九月の建立である。この寺は、前面に田んぼがあり、東北に開けており、高い所にあるので高寺とも呼んでいた。お寺と朱塗りの堂が二つ下から見え、景色はよかった。この勝景を清土羅蓮如(しんどられんじょ)は、「参天樹木護生寺 遍地 光明観世音」と詠んだ。かの唐の詩人杜甫が 山寺 と題して、「野寺残僧少 山園細路高 上方重閣晩 百里見繊毫」と詠んでいるが、ここの景色も、そのようなものであった。
-----

参照
・上野城にお勤めの方のブログ「水いろ絵の具で」から、式場パンフレットの風景写真
https://web.archive.org/web/http://img01.chesuto.jp/usr/uenojyo/%E5%BC%8F%E5%A0%B4%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%951.png
・「鹿児島県地誌備考」 鹿児島市サイトのpdf文書へのリンク
ホーム> 市政情報> 鹿児島市の紹介> 鹿児島市史等> 過去の鹿児島市史> 鹿児島市史第3巻(昭和46年2月発行)> 第1部 鹿児島県地誌・同備考(抄)
http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/documents/2012510161154.pdf#page=67
・「三国名勝図会」 国会図書館の近代デジタルライブラリへのリンク
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992132/79
・唐の詩人杜甫の詩、「山寺」のモデルとなった中国の麦積山
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E7%A9%8D%E5%8C%BA#/media/File:%E9%BA%A6%E7%A7%AF%E5%B1%B1%E7%9F%B3%E7%AA%9F.jpg

Favorite (0)

No one has added this photo to his favorite.

Comments (0)

"No comment yet, please write the first comment.

To make comments on artworks, click Login. User registration here.