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2019_0309_142233 松井山手行の高速バス

写真: 2019_0309_142233 松井山手行の高速バス

写真: 2019_0503_110538 ステーションループ 写真: 2019_0210_164602 ハイブリッド

大阪から奈良に向かう鉄道は3本あります。
大阪と奈良の間には標高500mの生駒山系が立ちはだかります。
1本目の鉄道は関西本線(JR大和路線)で山系の南側を大和川に沿って迂回するルートをとります。
迂回とは言え大和川沿いはかなり急峻な谷で地滑り多発地帯でもあり関西本線(当時は私鉄の関西鉄道でした。)は何度も地滑りに遭ってそのたびに地滑り帯を避けるため今では5回も大和川を右へ左へと渡っています。
2本目の鉄道は近鉄奈良線で、生駒山の真正面からとりつき、山に沿って斜めに標高をあげ、最後は生駒トンネルで山頂の下をぶち抜いて奈良に至ります。生駒山には宝山寺(生駒聖天)という商売の神さんがおり商都大阪では強い信仰があり難工事でもこのルートにも大きな需要がありました。ですが開通するまで大変な難工事で宝山寺が近鉄にお金を貸したといいます。またトンネル工事を請け負った大林組も近鉄からの払い込みが遅れても手抜き工事をせず、いい仕事をしようと踏ん張った挙句、自らも倒産直前まで追い込まれたそうです。
3本目の鉄道は片町線(JR学研都市線)で山系の北側を超えるルートです。実はこのルートは一番遠回りですが一番古いルートでかつ穏やかなルートでした。何しろ奈良に行くと言いつつ一旦は京都府に入るという大きな迂回ルートです。そしてその最北端にあるのが松井山手駅です。
開通した当時は奈良から大阪に向かうメインルートとして重視されましたが、短い関西本線が完成するとメインルートから陥落しました。それでも大阪府下の長尾駅までは電化され大阪のベッドタウンに向かう路線として発展しましたが長尾駅から北側の京都府側は全く近代化されず2時間に1本ディーゼルカーのやってくるローカル線に留まっていました。
転機となったのは1989年です。仕掛け人は京阪電車で自社の沿線の宅地開発は殆ど終えてしまって手詰まりだった京阪電車が沿線外の片町線の長尾以北に注目し、ここで大規模な宅地開発を行います。しかも競合相手である筈のJRに資金を払ってまでJR松井山手駅を開業させ、長尾終点の電車を松井山手、さらにその先の木津まで延長させて新しい分譲地の拠点駅としたのです。

この片町線(今の学研都市線)その生い立ちから、大阪からだと一旦京都に行くと見せかけてUターンして奈良に向かう路線になっています。
なので松井山手駅周辺住民にとっては大阪に出るのにはとても便利だが京都にはちょっと行きにくい、立地でした。
これに対し、その後開通した第二京阪道路は大阪府下ではかなりの部分で学研都市線と近いルートをとっています。

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コメント (4)

  • kame

    近鉄奈良線開通秘話が興味深かったです。宝山寺は昔は大繁盛だったんですね〜

    2019年3月11日 09:18 kame (11)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    で、肝心の写真はどうなん?が書いてませんね。
    要は松井山手から京都に行くこの高速バスは鉄道ネットワークの空白を突いて大変繁盛している、ということでした。(^^ゞ

    近鉄は本当に資金繰りが苦しかったようで、宝山寺から即金で借りたものの一部はホヤホヤのお賽銭そのもの、さらにそのままダイレクトに社員の給与に回されたものもあって、給料袋が異様に重かったという話が残っているそうです。
    開通後時を経てようやく経営が安定してくると、近鉄は亥の一番に生駒駅から宝山寺に向けて日本初となるケーブルカーを敷いて宝山寺に礼を尽くしたそうです。

    2019年3月12日 00:05 キューチャン (36)

  • キューチャン

    みなみたっちさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年4月19日 17:42 キューチャン (36)

  • キューチャン

    ニエブラさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年4月19日 17:42 キューチャン (36)

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