ヘルプ

2019_0804_153556 松花堂跡

写真: 2019_0804_153556 松花堂跡

写真: 2019_0804_153740 瀧本坊跡 写真: 2019_0804_153516 裏参道途中から表参道途中に抜ける道

前方の階段の上が松花堂のあった場所です。松花堂の遺構が残っています。
寛永年間の社僧、昭乗は阿闍梨にまで登りつめた優秀な僧で瀧本坊という八幡宮の神宮寺の住職でしたが、弟子に坊を譲り、泉坊という神宮寺に移って隠棲しのちに泉坊の一角に草庵を結んで「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。
昭乗は優れた僧でありながら、また優れた書家・画家でもありました。
松花堂と泉坊の客殿は、明治初期の「神仏分離」後、京都府知事の「山内の坊舎は早々に撤却」との命令が下りました。当時の住職は、松花堂と客殿を壊さず、山麓の資産家に売却したことで、廃却を免れ、何度かの移築の後、現在は八幡市が管理する松花堂庭園に昭乗の残した美術品と共に保存されています。

十の字に仕切った弁当箱を使う松花堂弁当がありますが、これは昭和初期の料理人で「吉兆」の創設者である湯木貞一が、昭乗の愛用していた絵具箱、煙草盆の形をヒントに作ったもので、さらに昭乗は農家が種入れに使っていた箱をヒントにこの絵具箱、煙草盆を作っていました。

お気に入り (4)

4人がお気に入りに入れています

コメント (4)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。