海峡を渡るバイオリン
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抗がん剤治療を開始したとき、ヒマなのでたくさん読んだ(ブックオフで100円)本のひとつです。
1929年生まれの著者チン・ショウゲン(日本語読み)さんが書いた自叙伝の中の一節。
今でこそ女だからどうこうということも少なくなったが、当時の朝鮮では、ひとたび女として生を享けると、死ぬまで辛酸万苦をなめなければならなかった。学校にも行かせてもらえない。女の子はどうせ嫁にやるもの、金をかけてもしかたがないという考えが幅を利かせていた。一般的だった。また、口減らしのために、女子はできるだけ早く手放す風潮もあった。当時、梨川村では女子が産まれると「イヌの子が生まれた」と表現していた。人としての価値もなかった。(本文21P)〜〜〜〜中国からの通達により、女性は字を書くこと、特に漢字を書くことは許されていなかった。社会に出ても女性の発言権はなきに等しく、女性はただ農家で草取りなどをするほかはなかった。それとは逆に、男は金さえあれば複数の嫁をとることもできた。日本の植民地となってからも状況は大して変わりはしなかった。
↑これは韓国人が書いたものです。
アルバム: ヤンパブログ
タグ: 韓国
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