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聖橋より東(文京区千代田区境界)

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写真: 聖橋より東(文京区千代田区境界)

写真: 聖橋より南(千代田区)前方 ニコライ堂 写真: 相生坂(湯島1丁目)

mixiアルバム「文京区湯島1丁目」
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000054070576&owner_id=32815602
2012年03月21日 14:14

11.02.10、02.14.
●湯島――
平安時代中期に記された“和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう。和名抄、倭名鈔、倭名抄と略称を目にしたことがあるでしょう)”には、武蔵国豊島郡湯島郷と登場している。
江戸時代後期の紀行家 菅江真澄の“北国紀行”には由井(ゆい)島と記されている。
“神道大系 神社編17 武蔵国”には、“油嶋”天神御縁起、またその所在も“武州豊嶋郡江戸油嶋郷”と記されている。
当時はまだ、台東区あたりは海であったから、現 湯島も“島”であった可能性は否定できないが、主だった紹介のいたる所が“湯”を謎としている。

山内和幸氏「目からウロコの地名由来」より――
“「湯島天神」や「湯島聖堂」のある東京都文京区湯島(ゆしま)は、地形的には本郷台地の東端の高台になっており急な坂が多い。湯島の地名由来は「ゆ・しま」ではなく「ゆし・ま」と考えるのが妥当だ。
「ゆ島」とする説では、上野の不忍池あたりまで東京湾が侵入していた頃の島だったとするが、「ゆ」の意味が分からずに困り果ててしまっている。
「ゆし・ま」の由来を解くカギは、北海道と九州にあった。
北海道厚岸町のとてつもなく険しい海岸の急な崖に「油子間」「鯨浜」という地名がある。役場の人に電話でその由来を問い合わせたら、「油子間」は魚の「アイナメ」の別名の「あぶらこ」にちなみ、「鯨浜」はその昔鯨が来たことに因むという説明だったが、違うでしょう。「あぶらこま」などという語呂の悪い地名は不自然だ。「油子間」は「ゆしま」に違いない。もちろん「鯨浜」は「崩れ浜」の訛ったもので、鯨とは何の関係もない。
一方、熊本県上天草市大矢野町の湯島は、島原湾に浮かぶ小島だ。な、なんと、かつては「談合島」と呼んでいたと、湯島中学校のホームページにあるではないか。小島の山頂付近はわりになめらかだが、海岸部には平地がなく、斜面にへばりつくようにして集落と耕地がある。段々の急な坂が多い島がゆえに「だんこ島」→「談合島」になったというわけだ。
「ゆしま」の「ゆし」は「ゆゆしい」という古日本語からきており、程度がはなはだしい、不吉で恐ろしい、気味悪いというような意味だ。「ま」は場所や空間の意味なので、「湯島」の地名由来は、地形的に険しくゆゆしい場所につけられたものだ。確かに文京区の湯島聖堂の東の「昌平坂」は、別名「団子坂」といわれ、段このある急な坂だし、東方上野方面に下る切通坂、中坂、三組坂等も急坂になっている。
愛知県新城市湯島は、豊川の上流の峡谷にあり、急斜面にへばりついて集落がある。
岩手県一関市花泉町油島(ゆしま)も同類の地名で、近くには、上油田(ゆだ)川が流れている。
岐阜県海津市油島(あぶらじま)は、かつて揖斐川、長良川、木曽川の合流する場所であり、危険でゆゆしい場所だった。ここも「ゆしま」に違いない。まさか、あぶない島が訛ったのではないだろう!”
――と書かれている。


※「湯島聖堂 昌平坂学問所」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000012063237&owner_id=32815602

※千代田区「神田明神(神田神社)」→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000012062855&owner_id=32815602

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